<講師略歴>1931年サンフランシスコ生まれ。54年東北大学インド哲学科卒。同大学院を経て61年助手。62年鈴木学術財団研究部、69年より春秋社編集部、76年駒沢大学助教授、翌77年東北大学助教授、82年国立歴史民俗博物館教授を経て、88年より国際日本文化研究センター教授。博識と豊富な資料の上にユニークな視座設定をし、宗教思想・文化論に新しい世界を開いている。『日本宗教文化の構造と祖型』(80年)『日本仏教思想論序説』『日本人の霊魂観』『神から翁へ』『「座」の文化論』『死の民俗学』など多くの著書がある。



 本日は、教派神道連合会結成百周年、その記念式典講演のご依頼を受けまして大変光栄に存じております。はたして、私にきょうのよき日にお話をする資格があるのか、この一月ぐらい悩んでおりました。実は、三月にオウム真理教の事件が起きたときに、ある雑誌から論文を頼まれました。その論文のタイトルは、私が付けたわけじゃありませんが、「オウム事件と日本宗教の終焉」というタイトルになっておりました。日本宗教が終焉したのであるならば、いまさら何を言うことがあるか、という内心の声と闘いながらこの一月を過ごしております。

 きょうのお話のご依頼を受けましたのは、昨年の秋のことで、もう変更の余地がないような具合でございまして、日が迫るにつれて気が滅入るような思いがいたしておりました。しかし匹夫の勇を振るい起こし、日本宗教の終焉の年は日本宗教の再生の年であると、そう思い直して、きょうはまかり越しました。 

  今年は大変な年になりました。ご承知のように、一月には阪神の大震災、三月にはオウム真理教の事件が発生いたしました。そのために、私のところにもいろいろなマスコミから、執筆や、インタビューの、テレビ出演の依頼と、注文が殺到いたしました。と申しますのは、実は、私、三年前にオウム真理教の代表麻原彰晃その人と対談したことがあるからなのです。平凡社という出版社の企画でございました。わずか三時間程度同席をしただけですが、そのときの印象を話せというご依頼から始まりまして、さまざまなところからご依頼があったわけであります。

 その過程で、私はまことに不思議なことに気がつきました。私のところに電話を掛けてきたり、直接お見えになるマスコミ最前線のジャーナリストや、テレビのディレクター、プロデューサーの方々、そのほとんどの方に、私が「あなたの宗教は何ですか」と聞くと、彼らのすべては「無神論者である」と答えました。一人ぐらいは「仏教徒である」とか、「自分の宗教は神道である」という人がいてもいいだろうと、そういう期待を私は持っていましたが、一人もそういう人はいませんでした。中にはもちろん、私のそういう問いかけに対して、しばらくいいよどみ、そして、あれこれ弁解を交えながら、「どちらかというと無神論者ですね」と、お答え頂いた人もおりました。

  のちほど申しますが、その人々は、自分のことは無神論者といいながら、心の底から無神論者であると思っているのかというと、そうではないんですね。心の底から無神論者であると思っていないにもかかわらず、人から問われると、「無神論者である」と答えざるを得ないジャーナリストの方々、それをどう考えたらいいか。

  これは、ジャーナリストの方々だけの問題ではないような気がしました。その人々の背後には、はるかに多くの世論が控えていて、その世論の多くも、「あなたの宗教は何ですか、あなたの信仰は何ですか」と問われて、あれこれ思い悩んだあげくに結局「無神論者です」と、そう答える声が、あちらこちらから聞こえてくるような気がしました。テレビを支えているのは世論です。新聞記者が新聞記事を書く、その行為を支えているのは読者であります。ひょっとすると、日本列島の全体に無神論的風潮が行き渡ってしまっているのかもしれません。 

  私は、たまたま今度の事件に際会いたしまして、いろいろな分野のマスコミのジャーナリストの方々と話をする機会を得ました。その結果、知り得たことは容易ならざる事態である、と思いました。その方々のほとんどは三十代から四十代、比較的若い世代です。しかし、それははたして若い世代だけの問題でしょうか。そういう話を糸口にして、あれこれ話をかわしているうちに、「無神論者が宗教的な事件をどう報道するんですか。そのシナリオを私に知らせてほしい。場合によってはご要望にお応えしてもいい」そういう問答を、私はいつの間にか、するようになっていました。そのとき彼らの口から出た答えは、異口同音に「私は宗教のことは知りません、学校で教わりませんでした。したがって、これからオウム真理教の事件を報道していくときに、とりたててシナリオのようなものはありません。方針のようなものはありません」これがわが国の知的ジャーナリズムの最前線の実態であります。 

  阪神大震災が起こったときに、私が感じたことですが、あの阪神の被災地の現場に参りまして、自分が宗教者として・・・・私は仏教徒でありますから、衣を着てあの被災地に立って、そして親鸞上人の「歎異抄」の有名な言葉、「地獄ぞ一定(いちじょう)住家(すみか)ぞかし」(現実は地獄ですよ)と言って被災者の方に近づくことができたでしょうか。私にはできませんでした。恐らく、日本の仏教徒で、あの被災地の悲惨な現場に行き、親鸞の「地獄ぞ一定住家ぞかし」という宗教的な言葉をいう勇気のある宗教者が、日本にいたでしょうか。一人もいなかったと思います。

  先年来、日本列島にいじめの問題が広がり、大きな社会的話題になりました。学校の現場に行き、いじめで苦しんでいる子供たち、あるいはその家族に向かって、聖書の「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」というイエスの言葉を差し出すキリスト者がいたでしょうか。いなかっただろうと思いますね。私の身辺にいじめで苦しんでいる子供がおりました。その子供に対して、このイエスの言葉を差し出す勇気は、とてもありませんでした。

  今度のオウム真理教の事件で最も苦しみ嘆き悲しんでいるのは、一般信徒たちだろうと思います。オウム真理教のその一般信徒たちに向かって、「人生は苦である、執着を捨てなさい」という仏陀の言葉を差し出すことができるか、できないだろうと思いますね。私にはできません。宗教的な言葉が、今日、日本列島においてはその権威を喪失してしまった。宗教的な言葉だけでは、人々の心に届かなくなってしまった。それがわれわれの世俗化してしまった社会の本質ではないでしょうか。

  今回の阪神大震災の被災地の現場には、たくさんの宗教者の方々が、それこそ献身的な救援活動に赴いておられる。いろいろな宗派、いろいろな教派から、たくさんの人が救援活動に赴いておられます。そういう人々を批判することなんかとてもできません。にもかわらず、腹の底から突き上げてくる思いがあります。そういう人々は、宗教者として、宗教的な言葉を用いて、苦しみ、悲しんでいる人々の心に近づくことができたでしょうか。先ほど申しました、イエスの言葉、仏陀の言葉、親鸞の言葉、そういう言葉を、千年、二千年の伝統を生き続けてきたその古典的な言葉を差し出して、近づいて行くことができたでしょうか。もう、仏陀の言葉もイエスの言葉も親鸞の言葉もこの現代日本の世俗化された社会においては、力を失ってしまっているのかも知れません。

  私は、あえてご批判を覚悟で申し上げるのですが、あの被災地において活躍していたのは、全国から集まって来たボランティアであり、カウンセラーであり、精神科医であったような気がするんですね。そして多くの宗教者は、あたかもボランティアであるかのごとく行動し、精神科医であるかのごとく、カウンセラーであるかのごとく、苦しみ悩んでいる人々の心に近づこうとした。それはそれで、大変尊いことだと思います。しかし、被災地における本当の救世主は、ボランティアであり、精神科医であり、カウンセラーであったが、宗教者ではなかったのではないか。そんな感じがいたします。
  恐らく、学校のいじめの現場でも、阪神の被災地でも、本当に人々が望んでいるのは、仏陀のような人、イエスのような人が自分のそばに近づいて来ることだろうと思います。ところが、仏陀のような人、イエスのような人は、なかなか世の中にはいない。仏陀の言葉ではなくて、イエスの言葉ではなくて、イエスのような人間、仏陀のような人間、それを心から手が出るほど、ノドから手が出るほど望んでいる、そういう状況の中で、人々は自然に、たとえ、偽物であっても仏陀のように振る舞う人間、イエスのように振る舞う人間に、ふと魅かれてしまう。世の中にさまざまな教祖、カリスマが発生するゆえんであります。すべての教祖、すべてのカリスマが偽物であるとはいっておりませんし、いいたいとも思いませんが、今日、不足はあっても、未熟なものではあっても、宗教的な人格を生き抜く以外に、そういう人々の心に近づく手だてはないのかもしれません。さまざまな偽物が発生する社会的基盤は、われわれ自身がつくってしまっているのではないでしょうか。

  実は、私は、先ほど日本のマスコミ最前線でこれらの事件を報道している人々の無神論的まなざし、無神論的心情ということに触れました。宗教者自身が、宗教的な人格として人々に近ずくのがものすごく困難な状況になってきたということを申しました。全体として日本列島の世俗化は、本当に行き着くところまで行き着いてしまったという感じですね。

  ただ、それならば、日本人のこの無神論的な心情は、「神は死んだ」と言い切ったヨーロッパ近代の精神が経験しているような自覚的な無神論なのか?ドストエフスキー、ニーチェ、サルトル、こういう西洋の知性が到達した自覚的な無神論と、われわれ日本人が漠然と共有しているような無神論的心情というのは同じものなのか?私は決して同じではないと思います。われわれの漠然たる無神論的心情の底に、千年、二千年を超えて脈々と生き続けているある強力な信仰、宗教への思いが流れていると思います。それをどう把握するか、どうこれから再生していくか、これが恐らく今日の最大の重要な問題ではないかと、私は思っています。しかし、そのことに、なかなか今日の知識人は、気がついてくれない。若い学生諸君も幾ら話しても、わかってもらえない。

  一月十七日に阪神に大震災が発生したときに、私が最初に思い起したのは、寺田寅彦という科学者のことであります。寺田寅彦は、ご承知のように地震学の権威であります。大正末期から昭和にかけて東京大学物理学科の主任教授を務め、関東大震災のあとは、東京大学の地震研究所の所長として地震研究に献身をされました。その寺田寅彦が、恐らく関東大震災の経験や、自分の研究成果に基づいて、例のよく知られております「天災は忘れた頃にやってくる」ということを言われたんですね。この言葉は寺田寅彦全集の中には出てこないのです。それに類似したことは、言っておりますが、その寺田が言おうとした「日本人は天災に常に備えていなければならない」という寺田の思想を当時の日本人が一緒になって「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉につくり上げた。これは寺田を中心とする世論がつくり上げた思想だと私は思います。当時、日本のマスコミ、新聞紙上で繰り返し言われておりました。

   ただ、私はそのとき不思議に思いましたのは、寺田寅彦は、もう一つ重要なことを言っているということです。「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉だけではなく、それよりもはるかに重要なことを彼は当時すでに言っていた。予言的なことを言っていた。そのことについてほとんどの人が気がついていない、というもどかしさをそのとき私は覚えました。

  昭和十年に寺田寅彦は「日本人の自然観」という長文の論文を書いております。これは現在、岩波文庫で「寺田寅彦随筆集」の中に出てまいります。その中で寺田は、きわめて重要なことを幾つかいっております。それをちょっとご紹介させていただきたいと思います。

  第一番目に、文明が進めば進むほど、天災による被害は甚大になるということです。関東大震災の経験から、そういうことを言っているんだろうと思います。

  第二番目に、ここは非常に面白いところですが、「ヨーロッパの自然と日本の自然は根本的に違う」ということを言っています。私は全然気がつきませんでしたが…。ヨーロッパの自然、特に寺田が言っているのは、西ヨーロッパでは地震が全くない、台風がない、したがって津波がない。地震、台風による自然災害がほとんどなきに等しいというんですね。もちろん例外的な現象は、あるかもしれませんが、まず西ヨーロッパにおいては、そう言ってもいいだろうと思います。もちろん東ヨーロッパ、南ヨーロッパは例外です。東ヨーロッパとか南ヨーロッパには地震国が、地震地域がたくさんありますが、とにかく西ヨーロッパには、地震、台風は存在しない。自然が非常に安定している。このためヨーロッパ近代の人間は自然に対して合理的な計算ができた。こうすればこうなるという、因果関係を自然と人間との間できちんとつくり上げることができた。その結果、自然を計画的に合理的に支配することが可能になった。近代ヨーロッパの自然支配の底には、そういう西ヨーロッパの自然の安定性という問題があったというのです。これはやはり、するどい指摘だろうと思います。

  ところが、それに対して、日本の自然はものすごく不安定です。まず地震があり、そして台風がある。この地震と台風という風土的特徴、これが千年、二千年の間、日本人をして自然に対する敬虔な態度をつくり上げたんだと言っているのです。自然の前に頭を垂れ、自然に従順に自然の脅威の中から教訓を蓄積していく、そういう知恵が日本人の間に生じたというわけです。

  近代ヨーロッパの自然科学と、明治以降の近代日本における自然科学の性格は、根本的に違うということを言っています。近代ヨーロッパの学問と日本の近代の学問の違いがそこにある、こういっているんですね。 

  私は、この認識がものすごく大事だと思います。地震学を専攻する自然科学者にして、こういう自然観が抱かれた。ところが、どうでしょう。明治以降の日本の自然科学者のほとんどは、西洋、近代の自然科学者が考えたような自然観をそのまま受容してきたような気がします。寺田寅彦が考えたような、自然に学び、自然を師とし、自然の前に頭を垂れる、そういう自然観を持つ自然科学は、寺田寅彦以後どれだけの人が継承したか、寥々たるものではないかと思いますね…。

  その証拠に、阪神大震災が発生したとき、この寺田寅彦の考えを述べる自然科学者が一人もいなかった。今日の日本の自然科学は、あの寺田寅彦の認識、洞察、それを無視して今日まで来てしまった。ちょっと、私はこれ誇張していっているかもしれません、大体、大局的に、こういって間違いなかろうと思うんですね。

  その結果、日本人というのは、昔から「天然の無常」という感覚を備えてきたといっています。寺田寅彦が「天然の無常」という言葉を使っているところにご注意いただきたいと思います。地震、台風、津波……、さまざまな自然災害に苦しめられ続けてきた日本人が、自然に身につけた自然に対する感覚、と言ってもいいでしょう。

  天然の無常には対抗することができない。それはそのとおりに受け取る以外にない。千年の知恵を蓄積して、その知識を用いて、それに対応する以外にない、ということであります。それが、先ほどの「天災は忘れた頃にやってくる」という認識につながっていく。幾ら科学的な合理的な準備をしていても、その自然の猛威に襲われるとき、人間にはどうすることもできない状況が、いつでも待ちかまえている。そういう感覚もここには含まれています。できるだけのことはしたほうがいい、しかしそれは必ずしも万全なものではない、ということになるわけです。それで寺田寅彦は「その天然の無常が、やがて日本に入って来た仏教の無常観と重ね合わせられたのだ」と、こういっているのです。
  「無常観」といえば、われわれはすぐに仏教を思い出しますが、インドで発生し、お釈迦さんがおつくりになられた仏教、その中の無常観という重要な考え方が、日本人の間にこれだけ深く定着したのは、そもそも日本の風土によって規定された日本人の天然の無常観というものがあったからである、これが寺田寅彦の認識であります。

  地震学の専門家が最終的に仏教の無常観というところにまで行き着く、この精神的なドラマは、私には非常に面白い。ひょっとすると、寺田寅彦は日本人の宗教観の根本的な感情、基本的な感覚をいい当てていたのかもしれません。

  論より証拠、寺田寅彦は、この「日本人の自然観」という論文の中で、最後にこういことをいっております「天然の無常を感ずる日本人は、古来自然の中にカミを感じてきた。あるいはヒトを感じてきた。自然の山の中にヒトの声を聞き、自然の川の中にカミの声を聞いてきた。そこに日本人の宗教の根本が横たわっている」こう結論しているのであります。

  この寺田寅彦の「日本人の自然観」という論文を私は、今回また再び読み返しながらちょっと気になることがあり、ほぼ同時代に活躍していた和辻哲郎さんの「風土」という書物を読み返してみました。今日、日本の風土、日本人の風土的な感覚というときに、誰しもがあげる古典が、和辻哲郎の「風土」であります。恐らく、今日の日本人の多くがこの和辻さん的な風土論の影響下にあるのではないかとさえ私は思います。それで気になって読んだのであります。

  ここでは、和辻さんの風土論の中身を概説するつもりはありませんが、私がハッと思ったことをただ一点だけを申し上げてみたいと思います。

  それは、和辻さんは、日本の風土、日本人の風土的特色を論ずるのに地震の問題に一言半句触れていないということであります。これは本当に驚きました。それにたいして和辻さんは、あの作品の中で日本列島の風戸的な特徴の最大のものが、台風だといっております。ヨーロッパの牧場的な風土に対して、日本列島の風土的特徴はモンスーンであり、その台風的モンスーンに対処するため、日本人はさまざまな対応策を作り上げてきた、これが和辻さんの議論の中心です。

  あの「風土」の中には、世界のさまざまな風土の類型が語られておりますが、特にその中で日本の風土を論じた部分、それは昭和三年から昭和四年にかけて書かれているのであります。時代は、関東大震災から五、六年のちのことで、まだ関東大震災の記憶が、日本人の間に残っていた時分だと思います。もちろん和辻さんの記憶の中にも、強烈に印象づけられていたに違いありません。それにもかかわらず、なぜ和辻さんはあの関東大震災の大災害を日本人の風土を語る上で、自分の「風土」という著作の中に組み込まなかったのか?論ずることをしなかったのか?これは不思議ですね。

  私も、京都に住んでから七年になります。そして「関西には地震は来ない」という神話を信じておりました。あの一月十七日、京都の洛西ニュータウンに私は住んでおりましたが、あそこは活断層が通っておるところでありまして、京都では一番揺れたところなんです。借りている団地の部屋が八階だったので、その揺れ方は大変なものでした。部屋中本箱が倒れて、本が散乱しその中に埋もれてしまったような状況でした。さぞかし阪神の中心地は大変だったろうと思います。そのときまでは、阪神地区には地震は来ないという、あの神話が何となく頭の片隅にありました。七年間、私は京都で地震を体に感じたことは、本当に二、三度しかありませんでした。それまで私は千葉県におりました。極端なことを言いますと、毎日揺れているんですね。和辻さんも、関西には地震は来ないという神話を信じておられたのかもしれません。

  しかし、あれほどの学者が、そんなことを考えるはずはないだろうと思います。私は、日本人の風土を考える上で、和辻哲郎は地震というキーワードを用いることを意識的に排除したのだろうと思っています。なぜならば、和辻哲郎は宗教学者ではなくて、倫理学者なんですね。あの「風土」という作品を見るとよくわかります。日本の社会を作り上げているのは、台風に対処するため、人間同士が力を合わせるというそういう人倫的社会のことなんです。親子の関係、兄弟の関係、隣人との関係、そういう人間のネットワークをきちんとつくり上げる倫理的関係が大事である。これがあの「風土論」の主旋律であります。この和辻的考え方は、天然の災害に対して、人間は力を合わせて対応しようとする、態度をつくるというものです。

  阪神大震災では、全国から集まったボランティアが大活躍をしました。あのボランティアのネットワーク、対応の仕方というものが、まさに和辻的な人間のネットワークだろうと思います。そのことをマスコミは最大限に報道しました。そのマスコミを支えたのが世論であります。

  先ほど私が、日本の宗教者が、あの災害地のど真ん中に入って行って、宗教的な言語を差し出すことができないでいると申しましたが、こういう和辻さん流の倫理的な世界観、人生観が背後にあったからではないかと、思っているんです。物事を宗教的にとらえない、倫理的にしかとらえない、その差が今回非常にはっきした形であらわれた。それは日本の世論が、日本人全体がそういう方向に向かいつつある、ということではないかと思います。地震というのは、人間の存在を根底から揺るがす自然の働きです。存在論的な恐怖、存在論的な不安を人間に与える、そういう自然災害だと思います。

  寺田寅彦はそこに着目した自然科学であるにもかかわらず、人間を深いところから根本的に揺るがすような大いなる力に、彼は気がつき、物理学者でありながら宗教の世界に直結するような、判断をもつことができたのだと思います。

  ところが、和辻哲郎は倫理学者であるために、天然の災害、自然の猛威に対しては、人力によってこれを押しとどめることができるという、そういう哲学、そういう世界観に立っていたのではないかと思うのですね。それはそれで、真実だと私も思います。真実ではあるが、人間の存在を根本から揺るがすような問題が起こったとき、そういう倫理的なネットワーク、倫理的な決断にどれほどの救いがあろうか、力があるだろうかとも、一面で考えざるを得ないのであります。

  昭和五、六年から昭和十年にかけての日本の二人の思想家の著作の中に、日本人の自然観に関する全く別の二つの態度がよくあらわれています。今日の段階から振り返って見ると、寺田寅彦的な自然観……天然の無常ということを中心とする日本人の自然観に着目する考え方というものが、どうも背後に退いて行って、和辻さん流のヒューマニズムの考え方、人間の力を結集することで、対外的な自然災害に対応するという考え方が有力になってきた。そこにもまた、日本社会の世俗化現象の一面を見ることができるのではないでしょうか。

  私は先ほど、日本のマスコミ最前線のジャーナリストたちが無神論的な心情を持っていた、ということを申しました。実は、今度のオウム真理教の事件で感じたことは、オウム真理教という「狂信的な」という名前を冠せられるあの宗教集団の中には、三種類の人間グループが存在していたのではないかということです。

  一つは、麻原教祖とその側近たち、これが第一グループです。第二グループが、その麻原代表に魅かれて入信し、出家をした一般の信者たち、第三グループは、大学の理系を出た知的な集団。科学技術の知識を持って、しかも情報機器に精通している、そういう知的な集団、幹部の連中です。

  この三つの集団によって、あのオウム真理教という教団は成り立っていたと思います。第一の教祖とその側近及び第二のグループの一般信徒、この二つの集団は、ともかくも宗教的な人間によって構成されている。ところが第三の集団、中堅幹部、あるいは知的キャリアを持つエリートたち、これはほとんどは無神論的な集団だろうと思いますね。神や仏の存在について、主体的な関心を持つことのないアナーキスト、ひょっとすると、テロリストがその中にいるかもしれない、無神論的な連中であります。

  新聞・雑誌の報道、あるいはテレビの放映を見ておりますと、初期から中期の段階が、特に顕著だったと思いますが、とりわけ第三の無神論グループの振舞い、活動、その社会的背景に対する関心が非常に大きかった。それに比べて、一般信徒たちに対する関心は非常に低かった。まして、いわんや一般信徒たちの心の内面に立ち入るような報道は、ほとんどなかったといってもいい。この二ヵ月の間、日本列島を覆してしまったこのオウム報道、その中心にあったものは、一方の、報道する側の無神論的な人々の眼差しと、報道される側の無神論的なグループの行動だったのではないか。そこのところをじっと見ていると、その両方の無神論的なグループの間に奇妙な共鳴現象が起こっている。一番そこに世論の関心が集中していたでしょうね。その世論の関心を背景にして無神論者同士が、あのメディアの世界で火花を散らしていた。それを湾岸戦争を見るかのごとく、「対岸の火災」視といったような傍観者的な立場で眺めていたのが、大半の日本人だったのではないかと思います。

  私は、よく新聞記者やテレビのディレクターの方々と、電話や直接会って話をしました。けれども、オウム真理教の第二グループ……一般信者たちの心の内面に立ち入った報道をなぜしないのか、そこを第一になぜ考えないのか、ということをずい分申し上げたのですが、どなたにも、聞き入れてもらえなかった。

  ようやく、一件落着、峠が見えてきた頃、「マインドコントロール」という言葉が頻出するようになりました。マインドコントロールによって、教祖と幹部たちに心を支配され、管理された一般信者たちが、はたして社会復帰できるかどうか、そういうことが語られはじめ、マインドコントロール……洗脳の恐ろしさが、テレビや、新聞で問題にされ始めました。

  阪神大震災のときはどうだったでしょうか。「心のケア」ということが盛んに言われていました。日本人は「心」という言葉が好きですね。「マインド」というのも心ですね。心のケアと言った場合の心は、いい心のことなのですね。マインドコントロールと言った場合は、悪い心のことなのですね。そういう使い分けをやっている。マスコミがやり、そして世論がそういうものだと思い込んでしまった。「いい心」と「悪い心」、この善悪二元論が、私にはものすごく単純に見えました。宗教の世界においても、日常的に心のケアとマインドコントロールは行われている。宗教者であろうとも、間違った心のケアをすることがある。たとえ宗教者ではあっても、成果を上げるマインドコントロールをすることがある。仏陀の伝道、イエスの伝道を見ればわかることであります。

  外国産の理論を借りてきて、マインドコントロールと言えば、何でもかんでも悪の作用であると、頭から見なすような態度、これは非常に危険だと思いましたね。本来、わが国の仏教の伝統において、「心」は単純に人間の側に属するものではなかった。たとえば、平安時代の最澄は「道心」ということを言いました。仏道を求める心ということであります。あるいは「菩提心」ということが言われていた。菩提を求める心であります。われわれの伝統的宗教世界では、心は単独では用いられることがなかった。仏を求めるための心であります。それを現代人や、現代の仏教徒も忘れ去っているのではないか。心のケアと言えば、何かわかったようなつもりになる。これはキリスト教の世界でも、同じだと思います。心のケアは、本来は西欧社会において、神による心のケアであったはずであります。神によるマインドコントロールだったと思います。

  ところが、西洋近代は神を殺してしまった。ニヒリズム、無神論の時代がやって来た。神という文字が消されてしまったわけですね。それにかわって登場してきたのが、人間の心を扱う専門家、心理学者であり、精神科医であります。だから、今日の心のケアは、心理学者による心のケアであり、精神科医による心のケアであります。仏教のレベルで言いますと、仏道を求める心ではなくして、日本の仏教徒は、心のケアと言うとき、その心という問題を心理学者や、社会学者、精神科医に譲り渡してしまっている。無神論的状況はそこまで及んでしまっている。いざ、オウム真理教の一般信者たちの心の問題やその宗教で悩み、悩んでいる心をどうするかという段階になって、なぜ、ヨーロッパ産の外国産のマインドコントロールなどという、あいまいな言葉を用いなければならないのか、これが大変に不思議な現象であります。

  私は、先ほどの寺田寅彦さんの「日本人の自然観」ではないが、日本人は古来、自然の中に神の声を聞き、仏の声を聞いて、自然とともに生きてきました。神か仏か、または一神教か多神教かという、二者択一の思想を放擲していたはずだと思います。特定のセクトに属することよりも、宗派を超えて自然と共生する、そういう感覚をごく自然に信じてきた。なぜ、そういう自然信仰、生命信仰、神信仰をわれわれの本当の信仰だと思わないのか。近代以降、そういうものは、ヨーロッパのキリスト教信仰と比較するときに、本質的な宗教のあり方ではない、ということを向こう様から教えられてきた。

  一神教も宗教ならば、多神教も宗教である。汎神論ももちろん宗教ではないか。むしろ、私は、天地万物すべてに神が宿るという感覚、信仰こそが、人類にとって、最も普遍的な信仰ではないかと思っています。それは、ヨーロッパもアジアも日本も変わりがない。千年、二千年、三千年、歴史を遡って行くと、そういう普遍的な自然信仰、生命信仰に行き着く。キリスト教とか、仏教、イスラム教というのは、そういう人類が、古い古い時代から培ってきた普遍的な宗教意識を歴史的に限定しただけではないか。むしろ歴史的な民族宗教は、仏教、キリスト教、イスラム教のほうである。自然万物の中に神、霊性を認める日本人の信仰こそが、人類にとって最も普遍的な信仰ではないか。そういうIDカードをいまこそ、われわれは持つべきではないかと思います。

  私も宗教学者の端くれであります。何かというと、宗教を考えるときにヨーロッパ人が考えた宗教学説を持ってきて解釈する、という習性が抜け切れません。今日のお話は自己反省を込めて申し上げているのであります。

  今日は、教派神道連合会結成百周年であります。教派神道は日本の近代の夜明けに、民衆宗教運動として、呱々の声を挙げた、そういう輝かしい歴史を持っていると思います。

  ところが、しばしばその宗教学とか、仏教学とか、宗教哲学とかというレベルで議論される問題に「神道は宗教や否や」という議論があります。宗教であるためにはまず教義教祖が必要である。伝道・布教がなければならない。これが今日の宗教学会の一般的な通説であります。その三つのものがなければ、神道は宗教ではないのではないかという人が多い。全ての人がこのような偏見を持っているとは思いませんが、なお底流としてそれがあります。

  実は私は、これからの宗教は、むしろ教義を持たない、特定の教祖を持たない、攻撃的な布教活動をしないそういう三つの原則に基づく宗教こそが、二十一世紀を生き抜く宗教ではないかと思っているのです。こういったからといって、本日は教派神道連合会結成百周年の席であるから、リップサービスをしているのではありません。私は本気でそう思っているんです。

  二十一世紀になってからも、ユダヤ教とか、キリスト教、イスラム教のような一神教的な生き方が、地球の主導的な宗教になろうとはとても思えません。人類にもしも生き残る道があるとするならば、やはり宗教的な垣根を薄めていく以外に手はない。攻撃的な伝道活動を抑制するほかにない。現に中東やヨーロッパにおける宗教がらみの民族紛争は、すべてそういう一神教的自己主張、教派的な自己主張に基づいて起こっているわけであります。もし、そうであるとするならば、宗教学の定説を改めなければなりません。宗教が真に宗教になるためには、教義の垣根を越え、教祖にこだわらず、攻撃的な伝道布教をやめる。天然自然の「無常」という言葉、それを心のどこかに置いて、自然の中に神の声を聞き、仏の声を聞く、そういう日本の伝統的な宗教感情、宗教伝統をもう一遍蘇らせることが必要なのではないかと思います。

  そしてそこまで、宗教の考え方、宗教に対する考え方を変えますと、先ほど来私が申し上げてきた、日本人の無神論的な心情の奥底に、そういう感情があることが自覚されるようになると思うのであります。今日、マスコミ最前線の方々、そのマスコミを支えている世論の大部分の方々、ややもすると無神論的な自己認識を持ちがちなそれらの人々の心の奥底に、神の蘇りの感覚が無意識のうちに宿っているということを知っていただきたい。そういう願いを込めて、私は今日のお話をさせていただきました。ご清聴どうもありがとうございました。(拍手)



寺田寅彦 (1878〜1935)
明治ー昭和期の物理学者、随筆家。東京生まれ。筆者は吉村冬彦、藪柑子など。東京帝大卒。ドイツに留学、大正5年(1916)東京帝大教授となり、理化学研究所、東京帝大航空研究所、地震研究所で実験物理学、地球物理学の研究に従い、特にX線による結晶構造解析の開拓的な研究は著名で、6年学士院恩賜賞受賞。一方、夏目漱石門人の文人として、客観的でありながら詩情に満ちた随筆を多く著した。『冬彦集』『藪 柑子集』(共に大正12年)、『万華鏡』(昭和4年)、『橡の実』(昭和11年)など。


和辻哲郎 (1889〜1960)
大正・昭和期の哲学者。兵庫県生まれ。東京帝大卒。『ニイチェ研究』(大正2年)、『古寺巡礼』(大正8年 )、『日本古代文化』(大正9年)等を著して、早くから注目される。大正14年(1925)京都帝大で倫理学の助教授となる。その間、ドイツに留学してハイデッカーの哲学に触れ、昭和3年帰国後、西欧の個人主義を批判し、日本的人間観に基づく独自な倫理思想の構築に向い、『人間の学としての倫理学』(昭和9年)、『風土』(昭和10年)、『鎖国』(昭和25年)などを著す。6年京都帝代教授、九年東京帝大教授となる。30年 文化勲章受賞。