![]() |
|||
![]() |
|||
| <講師略歴> 1948年鹿児島県生。71年東京大学文学部卒業。74年同大学院博士課程中退後、文学部助手。82年国学院大学日本文化研究所専任講師。現在、同研究所教授。博士(宗教学)。専門は、教派神道、新宗教など近現代の宗教運動の比較研究。著書『海を渡った日本宗教−移民社会の内と外』弘文堂、85年。『教派神道の形成』弘文堂、91年。『新宗教の解説』筑摩書房、92年。主な編著・共書『新宗教研究調査ハンドブック』雄山閣、81年。『新宗教事典』弘文堂、90年。『宗教教育資料集』鈴木出版、93年。『神道事典』弘文堂、94年。『宗教教団の現在−若者からの問い』新曜社、95年。『新宗教教団・人物事典』弘文堂、96年。『宗教法人法はどこが問題か』弘文堂、96年。 | |||
|
私がこの席に立たせていただくことに、逃れ得ぬような縁というのを感じております。私は、東大で宗教学の研究を始めたわけですけれども、卒業レポートで「明治の宗教行政」をテーマにしました。その後、大学院に進みまして、国学に目を向け、平田篤胤の研究をいたしました。その後、外国での調査とか、新宗教の実態調査もあわせてやっておりましたけれども、「国学が近代に与えた影響」ということをやろうという意志を持っておりました。国学院大学に参りましてから教派神道の研究を本格的にやることになりました。その間に、今日ご出席のいろんな教派の方々に、資料面でも大変お世話になりましたし、いろいろご協力いただいて、平成三年に博士論文を「教派神道の形成」としてまとめることができました。したがいまして、こういう会ですと、逃れるわけにはいきません。それから、これまでかかわられてきた方々が「これから教派神道はどうあるべきか」ということを、非常に真剣に考えていらっしゃるので、私は出来るだけ宗教者の方々の論議には直接にはかかわらない、というスタンスをとってきたんではありますけども、今回はそういうふうに部外者的に横から眺めさせていただくという具合にもいかなくなりました。そこで私の言いたいことを言わしていただこうということになりました。私はリップサービスが非常に不得手でございまして、率直に述べさせていただくということを信条としております。ある意味では失礼な発言もあるかもしれませんが、それは決して、いわゆる悪口とか非難というたぐいではございませんで、学問的に冷静に眺めてみると、こういうことも言えるんです、あるいはこういうことも予測されるんですというような意味での発言とご了解いただきたいと存じます。そういう意味で厳しいといいますか、やや辛らつな箇所もあるかと思います。その点はご容赦いただき、自由に話させていただくということですので、最初にお断りしておきます。 今回のシンポジウムの基調講演ということで、一つ依頼されたのは、とにかく教派神道というのは何かということをちょっと言ってくれ、ということでございました。それを簡単に申し上げて、そのあとは、歴史的なことの説明よりも、むしろ今後の問題にふれたいと思います。ここにタイトルで「二十一世紀」というのが出ておりますけれども、もうあと五年で二十一世紀であります。その二十一世紀に向けたときの教派神道、これを後半の中心的な問題としてお話しすることにいたします。 教派神道という言葉はいろんな意味で使われておりますけれども、一般的には神道十三派の意味で使われてきたのが代表的であります。ただ、私は、「教派神道の形成」の中でも述べておきましたけれども、そういう宗教行政の産物としてできたものとして、教派神道というのをとらえるのでは非常に限界がある。一つはもう十三派という括り方が今では意味を持っておりませんし、それから、そもそもその括り方がいろんな宗教運動、新しい宗教運動をひっくるめて一括りにしたものであったということがあります。そういうことからして、十三派で物事を考えるのはあんまり発展性がないということで、別のやり方をいろいろ模索しておったわけです。そこで、近代にできた神道的な教団が大きく二つのグループに分けられる。一つが教派神道と呼び得るものであり、もう一つが神道系新宗教と呼び得るグループであると、こういうふうに規定したわけであります。 日本の宗教史を考えますと、近世、つまり江戸時代から近代にかけて、非常に大きな変化がありました。この変化の過程で、宗教がどんな展開をするかは、全く偶然によるところもあったわけですけれども、しかし必然的な面もありました。必然的な面というのは、近世までに用意されたさまざまな神道的な伝統が教団化していくプロセスです。これはいずれ起こることであったろうと、私は思うわけですあります。当時、仏教というものは、すでに仏教宗派が幾つもできておりまして、ご存知のように鎌倉新仏教というものが、日本独自の仏教宗派として根づいておりました。しかし、神道の場合には、確かに伊勢神道とか、垂加神道とか、いろいろ言葉はございますけれども、これらは教団と呼ぶほどの組織ではない。いわば思想運動であったり、先生から弟子へという、一種の学派的な側面が強いものが多かったわけであります。そうではなくて、広く一般の人々をも巻き込んだと申しますか、そういうものを含む組織としての神道教団、これが出現するのは、江戸時代の状況を見ているとそう昔のことではなかったと思われるんですね。それは一つには、各地にいろんな宗教的な講と呼ばれるものができておりましたし、山岳宗教が非常に発達しておった。あるいは思想的な面でいいますと、ご承知のとおり国学というものができまして、神道的な理念、そうしたものをもう一回、自分たちの目でとらえ直そうという動きがありました。その結果、そういうものが一つの澎湃(ほうはい)たる運動になって、一部の知識人のみならず、いろんな階層の人に広まっていったわけです。こういうことを考えると、神道教団が生まれるのは、時間の問題でありましたし、実際、すでに十九世紀には幾つか出来始めていたわけです。 ところが、ここに明治維新という出来事がありまして、そしてこの政治的な変革が、宗教行政にも影響を与えました。そして明治国家が、ある意味で独自の宗教政策を打ち立てた。そうすると、この国家の力というものは大変強いですから、それまでの宗教史の展開に大きな影響を与えることになりました。まず、明治国家は近代神祇制度を確立したわけであります。それまで衰え気味であった神祇制度をもう一回見直しまして、新しく官国弊社の制度をつくりました。そういう近代神祇制度を整えることをやったわけですが、他方で、初期のいろいろな試行錯誤を経たのちに、神道教派というものを、いわば人々の宗教的な活動に当たる部分として認めていく、という施策をとりました。ここの過程は、明治の宗教行政の説明になり、宣教使とか、教導職とか、いろんなキーワードはございますが、やや専門的な話になりますので、ここでは申し上げません。とにかく初期は、明治政府は国民の教化政策、これに直接的に関与するという方針をとったわけですけれども、結局、それがさまざまな問題を起してしまう。神道界にも分裂を起こしてしまう。例の祭神論争などでございますけれども、なかなか国家主導型の教化政策はうまくいかないということがわかりまして、これはそれぞれの一教一派に任せるという方針に転換いたしました。その過程で、結局、神道教派と呼ばれるものが、いわば政府のお墨付きで管長制度をとり教団化していくことになったわけであります。 したがいまして、教派神道の成立には、宗教史の展開からして、必然的に生まれた部分と、それから明治政府の宗教行政によって、ある特定の形になって展開したという、大きく二つの側面がございます。しかし、いずれにしましても、これは先ほど申しましたように、決して無理やりつくられたとか、あるいは不自然な形でできたというのではなくて、やはり日本の宗教史の展開の中で、生まれるべくして生まれた一つの宗教形態−私は宗教システムという視点からとらえておるんですが−そういうものであったというふうに考えることができます。 問題は、それがその後どういうふうに機能を変えてきたか、あるいは変えざるを得ない社会的条件が生まれてきたか、ということであります。この教派神道と呼ばれるものは、私が神道系新宗教と呼んだものと比べますと、多少、焦点がぼやけるといいますか、どこにアイデンティティーがあるのか、なかなかとらえがたいところがあるわけです。と、申しますのは、神道系新宗教というものは、教祖の存在が非常に大きいわけであります。ある教祖が宗教的な啓示、特異な体験を経まして、そのもとに独自の教典、独自の世界観を提供し、それが弟子たち、あるいは信者たちに受入れられて、新しい宗教として広まっていく。ただし、そこでは日本の伝統的な神観念とか、神道的な儀礼とか、そういうものが豊富に吸収されていく。そういう面で、創造的ではあるけれども、神道的な伝統を使っているという意味で、神道系新宗教というわけです。教祖の存在が非常に明確でありますから、なぜその運動がそのようなことをするのか、そういう儀礼をするのかは、教祖が言ったこと、したこと、これに求められるわけです。教祖がそのように弟子たちに説いた、あるいは信者に説いたということが、その教団の存在理由に繋がっていくわけであります。 ところが、実際には教派神道とか神道系新宗教といいましても、中間形態というか、どっちかなというのも、実はあります。これは人間のつくり出すものは、あらかじめA型、B型、C型とか思ってつくるわけじゃなくて、いろいろみんなそれぞれの思いでやっているんだけれども、できあがったものをみると何か特徴があるグループが、こちらに一つ、こちらに一つできたと、そういうことです。ですから、当然、中間的なものもございます。その意味で、私がいまお話ししているのは、典型的な新宗教と、典型的な教派神道という意味で聞いていただきたいのであります。たとえば、きょうここに、金光教とか黒住教の関係者がお見えになっていますが、これは十三派でありますけれども、われわれの学問区分ではむしろ神道系新宗教に括られることのほうが多いわけですね。両方の要素を持っているとか、その辺の境目のところが、常にわれわれは苦労するわけですが、別に区分のためにそれぞれの活動があるわけじゃないですから、それぞれ独自でやっていただいて結構なわけですけれども、区分するということは、そういうあいまいさを含むものだ、ということだけご了解いただければ結構です。 それで、典型的な教派神道といいますのは、組織者、あるいは創始者、そういう者がいるわけですけれども、必ずしも、その創始者、組織者が、すべてを始めた、あるいはその人が説いたことが、ただちに教典というわけではないんですね。やはり、それまで日本に連綿と続く神祇信仰、あるいは日本の古典にしるされているようなこと、あるいはそれまでのさまざまな神道的な習俗など、それらを大幅に取り入れ、いわばそれを再構成する、現代的なそのときの意味づけで構成する。したがいまして、組織的にも、これは私の本の中でちょっと変な表現で、「高坏(たかつき)型」と規定しましたけれども、別に典型的な新宗教の場合のように、新しい支部がどんどんできて、細胞分裂していくという形でふえるのではなくて、すでに既存の似たようなものを一括りにして運動を推進していく、というような部分がかなり大きいわけです。もちろん、新しくできて、弟子たちが組織をつくっていくという部分は皆無ではありませんけれども、それによってすべての組織ができているというものではありません。典型的な新宗教、天理教などは、この教派神道連合会からは出られたようですけれども、天理教はやはり、私が言う教派神道という要素は非常に薄い。やはり天理教の教会に行けば、どこも、同じように天理教の教義で、儀礼も、やっていることも、目的も、崇拝する対象も、みな一緒ですよね。一つ一つがもう細胞のように同じである。ほかの仏教系の新宗教、たとえば霊友会とか創価学会とか、そういうものを考えても同じであります。そういう新宗教の場合には、教祖がつくったモデルが増殖していく。これが基本型であります。 これに対しまして、教派神道は、そういう創造的、創始者のつくった新しい面はもちろんあるんですけれども、むしろ、それまでの伝統を生かすという側面が相当の比重を占める。もう、ほとんどそれによって成り立ったような教派もあることは、ご承知のとおりであります。そういうふうに創造性がないわけではありませんけれども、やはりいままである伝統を生かす、使うという面に非常な特徴があった、というふうに私はとらえております。このことが時代とともに、一つの教派神道の機能とか行く末というものに関して、ややあいまいさというんでしょうか、どちらに進んでいいのかということに関して、明確な線を描き出せない、という一つの理由かと考えています。というのは、教祖が明確で目的が明確であれば、これはその組織の進むべき道は常に原点回帰ということでいいわけですね。原点は教祖であります。教祖が何を目指したか。どういうことを実現しようとして運動が起こったか。それを絶えず思いかえすということによって運動は続くと思うんでありますけれども、教派神道の場合には、いま申しましたように、そういった側面がやや弱い。むしろ、その神道的な伝統とのかね合いで展開してきたということになりますと、神道的な伝統なるものが、近代の中でどんどん変容していくと、教派神道も、また、どっちに進んで行ったらいいのかわからなくなる、ということが起こりやすいわけです。これを決定的にしたのが、恐らく戦後の法的環境の変化であろうと思います。 ご承知のとおり、戦後、宗教法人令ができ、そしていまの宗教法人法というものにかわりました。ここでは、戦前ありました神社神道と、神道教派と、それ以外の宗教結社になるようなもの、あるいは、一時期、疑似宗教とか類似宗教と呼ばれていたようなもの、この区別がなくなったわけですね。皆、宗教法人になったわけです。したがって神社本庁もできたわけです。そのように宗教活動をするものは、すべてこれは宗教法人として役所に届けるという方式になった。これは行政的な処置ではありましたけれども、しかし活動にも影響を与えるわけです。教派神道のように、ゆるやかに連合していたような機能は、ここで非常な打撃を受けたわけですね。つまり、傘下にあった教会がどんどん独立していきました。ちょっと異質な教会をも一つの派にまとめていた、その理由はなくなるわけですね。みな自分たちが一教一派という形で教会を独立することができたわけです。ですから、神道系新宗教と教派神道の形式的な境目というのを、ある意味でこの宗教法人法はなくしていった、糸をちょん切っていったと言うことができます。その結果、戦後どのような方向性が生まれたかというと、これはもう近代を通じてすっと起こったことですけれども、私は日本の宗教界を通じての二極化が、より顕著になったととらえております。 二極分化というのは、一つは儀礼宗教としての存在であり、一つは布教し、人々の宗教的なニーズに応えようとする宗教ですね。儀礼宗教というのは、いわゆる既成宗教といわれているものの大半は、この範疇に入ります。仏教宗派、神社神道、それからキリスト教も一部はこの儀礼宗教化する傾向を見せ始めました。布教する宗教としては新宗教の大部分がそちらに入りました。しかし、新宗教の中にも、一部、古いものの中には儀礼宗教化するものも出てきています。ですから、日本人の、あるいは日本の習俗とか、年中行事、人生儀礼、そういったものを満たす形での宗教と、それこそ、貧・病・争という言葉に代表されるように、そのときどきの社会が生み出す宗教的な課題に実践的に取り組もうというグループとに、大きく二極分化する方向。これは戦前からあったわけですが、これが、その宗教法人法のもとでは、私はより鮮明になったと考えております。 ここにおいて、教派神道というものは、そのアイデンティティ、自分たちがどんなものであるかという危機が決定的に高まったと言えると思います。つまり、既成宗教型なのか、布教する宗教なのかということです。現実には、恐らく、全体としてはより儀礼宗教的なほうに、傾いていただろうと思います。こういう私なりの歴史分析がございます。こういう分析に基づいて、これからの二十一世紀ということを考えながら、このいわばアイデンティティーの喪失しかかっている教派神道は、どんなふうに将来が展望できるのかということに関する、私の個人的な見解を申し上げたいと思います。 いま申しました二極分化的な傾向は、高度成長期以降も、ますます顕著になっていると私はとらえております。そして、宗教の活動が社会的な話題になるのは、昨今ではほとんど新宗教であります。これは今回のオウム事件に限らず、これまで宗教がいろんな面で話題になりましたけれども、その宗教が活動していることで話題になる場合は、ほとんど新宗教なわけです。これは報道を分析すればすぐわかることです。神社仏閣の場合には、伝統的な日本文化として紹介されます。それに対しまして、宗教が社会で何をやっているかというときには、それはもうほとんど新宗教の話題です。これに関してはいろんなデータがあるんですけれども、つい最近やったデータを一つご紹介します。これは新聞でもいろいろ報道されましたからご存知の方は多いと思いますけれども、今年(一九九五年)の四月から六月にかけて、全国の大学生約三千七百名余りを対象にやった意識調査です。そこで改めて感じたんですけれども、大学生、あるいはその両親、友達、その人たちの意識にのぼる宗教というと、これはやはり第一に新宗教なんですね。「あなたの家の宗教は何ですか」と家の宗教を聞くと、これは仏教とか神道とか出てきます。むろん仏教が一番多い。このように家の宗教という感覚では仏教ですけれども、実際に信仰している人、あるいは自分の周りに宗教を持っている人がいる。「それはなんですか」と答えさせると、トップになるのは新宗教なんです。だから、新宗教は何か社会の異物のように見られた時期が随分長かったんですが、結局、いまになってみると、信仰の対象としての宗教といった場合には、キリスト教系の新宗教、モルモン教とかエホバの証人、統一教会も含めると、新宗教が一番多いということです。このことは、先ほどいった二極分化、これがますます進んでいるということにつながります。 そうした事実認識のもとに、では、教派神道というのは二十一世紀をどんなふうに展望するのか、という問題があるわけです。極端な言い方をしますと、教派神道は存続できるのかとか、存続の必要があるのか、という問いすら起こってくるだろうと思います。というのは、二極分化していると、儀礼宗教では神社神道と仏教宗派で十分なんですね、変な言い方ですけれども、あえて教派神道が必要とはされない。それから、もし新宗教的になるとすれば、これは布教手段でとても太刀打ちできないということです。となれば、両者のかたわらにたたずむ存在になるか、もしくは第三の道を模索するかということになろうかと思います。このままだと非常に暗い話の筋だとお考えの方もあると思いますけれども、ところが、私は、このいまの二十一世紀が近づいている時点というのは、こういった、いま言いました二極分化的なことも含めて、宗教界は非常な曲がり角を迎えているという認識がございます。これは端的に言えば、教団宗教の曲がり角なんですけれども、宗教が教団という形をとって存続することには、いま非常に多くの人々からの疑問とか懸念とかいうのがあります。これは疑いもなくオウム真理教の事件が大きな契機でありますし、さらにその前にあった統一教会の問題もあります。それから創価学会の問題もあることは間違いございません。そうした報道が重なるたびに、結局、宗教は金儲けではないか、自分たちの団体のことだけしか考えないのではないかとか、そういう疑問がだんだん強まっているわけであります。極端な意見としては、もう組織は要らないんだと、教団になるから問題が起こるんで、宗教は個人の信仰の問題として存続するのが、将来の望ましいあり方だという意見をはく人もいます。過日の朝日新聞でも三浦朱門さんが似たようなことを言っておりました。 私は、ただこの意見はナンセンスだと思っています。組織なき宗教の伝達はあり得ないということですね。宗教はどの社会にあっても、いい面と悪い面を出すわけですけれども、しかし何らかの組織なしに、一つの文化が継承されることはあり得ないんです。個人の信仰なんて言いますけれども、じゃあ、そういう人は一体どこでそれを身につけたかなんです。本を読んだ。聖書を読んだ。その聖書を刊行した人はだれですか。翻訳した人はだれですか。考えていけば、その一つの信仰を継承しようとする組織的な動きがあったればこそなんです。ですから、どんな組織が望ましいかという議論は必要にしても、組織は要らないという意見を吐く人は、これは実際の宗教の現場を本当は知らない人ではないかと私は思っています。 しかしながら、宗教がいまのような教団の形をとることに非常な反発があることは、これもまた紛れもないことであります。こうした批判は、単に理解が足りない、つまり誤解とか無理解だけかというと、私は必ずしもそうではないと思っています。マスコミが、面白おかしく問題のありそうな教団ばっかり報道したり放映している。そうすると、それを見ている人は、実態を知らないでやたらと宗教には批判的になる。こういう側面があるのはこれは間違いのないことであります。学生たちに宗教の印象を聞いても、あんまりいい印象は返ってきません。なぜかというと、それは、テレビで放映していることをそのままうのみにしているわけです。で、「君は一体どれぐらい、自分でそういう目に遭ったのか」と言うと、「いや別に。でも、テレビでやっているから、やっぱり怪しいんじゃないですか」という、こういうことなんですね。そのようなマスメディアの影響、これが大きいことは疑うべくもありません。ただ、そういう誤解や無理解だけで教団宗教への疑いが強まっているかというと、またそうでもないだろうというふうに思います。そこには、やはりいまの社会が、いまの宗教組織のあり方そのものに大きな疑問を投げかけている。もっと言うならば、いまの社会全体のシステムと、いまの教団のシステムがどうもずれがある、と私は思っております。 いまの社会の変化のプロセスを、キーワードで言うならば、情報化というふうにとらえております。情報化というものは、いままでの社会に比べると、人が一つの価値観とか知識というものをつくり上げていくプロセスを、大きく変えてしまったわけであります。一人の人間はいろんなところから情報を吸収できますし、いろんな物事を、ものの見方を身につけることができる。日本の伝統というのはこういうものだよ、というふうに、家でとか学校で説いて、子供たちが素直にそれを信じるという状況は、もう遠くへ飛んでいってしまったわけであります。どんな価値観、どんな変なものの見方でも、マスメディアを通じて、あるいはとんでもない人の繋がりを通じて、どうでも入り込める社会になってきたわけであります。こういう多様化、ある意味では無秩序化ももたらしているような状況があります。情報化というと、何か整ったことのように受け取られがちですけれども、理念なきテクノロジーというのが、いまの日本の社会だと私は思っていますので、どんどんテクノロジーが発達して、情報を伝える手段だけが便利になると、いい面もありますけれども、また弊害もすごいわけです。特に価値観のような、どっしりと根を下ろして、ちゃんと考えるべきような問題は、いまの時代では、非常に見過ごされ、軽視されておりますので、そういう意味では、非常に無秩序状況になっていると思っております。 こういう中では、宗教を布教する側は、布教される側に対して決して優位に立つことはできない、というふうに私は思っております。これはいろんなところで申し上げているんですけれども、極端な話、江戸時代までぐらいですと、お坊さんは平均してインテリなんです。明治もそうであったと思います。宗教を説く側のほうが、説かれる側よりも知的な度合いが非常に高い。で、偉そうに説くことができたということですね。しかし、この近代社会の中で、だんだんその地位は変わってきて、いまや下手すると逆転している。宗教家が一番ものを知らない、ということがあり得るんです。一応、坊さんの説教とか宗教家の説教は、仕方がないから周りの人は聞いているけれども、何だ、もうわけのわからないことを言って、というふうに腹の底では思っているかもしれない。そういう時代であります。それは、たとえば教典とか、そういうものをかつては宗教家が独占しておったわけですけれども、いまは全然独占しておりませんよね。どんなルートででも調べることができる。だから、麻原彰晃が全然仏教宗派に関係なくても、いきなりパーリー語仏典から真理を説くぞというと、そうすると、若い人は「おお、すばらしい」となり得るわけですね。こういう既存の権威は、もう、どんどん浸食される。これが情報の時代の特徴であります。そういうところで、ある意味で旧態依然の教団が、いわばメーカーとして製品をつくって、配ろうとしても、いまやPL法(製造物責任法)の時代でありますから、そのつくった宗教の製造物が、本当に正しいのかどうか、われわれに逆に危ないことをもたらすんじゃないかと、消費者がチェックする時代なんです。そういう情報的な面で見ても、もはや宗教を説く側と説かれる側、そこに知的な一方的な流れがあるなんてことは、想定できない時代であります。 そういう時代に、宗教組織をつくって何かをするというのはどういうことだろう。こういう根源的な問いが当然起こってくるわけです。これまでのままであると、これはやっぱり、結局、組織を持続させたいためにやっているんだろうとか、そういう批判が起こります。いまの批判の大半はそこにいきます。宗教は、結局、自分たちの組織を運営する。それの防御、そのために必死なんじゃないかと。もともと人のため、世のため、あるいは平和のためと言っておきながら、結局はそういう組織防衛ではないかと。これが批判の中では常に上位を占めるわけであります。今後ますますそういう視線は強くなるだろうと思います。そうした中に、各教団は、これは教派神道に限らず、神社神道も仏教宗派も既成の新宗教も、必ずや再編を迫られると考えております。新宗教でも、古手のほうでかなり動脈硬化を起こしているところもありますし、そういうものは二十一世紀にどう生き延びられるか、それこそ生き延びられるかという形で問題になります。社会的に見ても、そういったものの存在意義が、いろんな形で問われると思います。そう問われたときに、しかし、それぞれの宗教はやはり伝統を無視しては応えられませんから、神社神道は神社神道なりの歴史的経緯を踏まえて、あるいはキリスト教会であれば、キリスト教会はその歴史を踏まえて、仏教宗派は仏教宗派なりに、新宗教はそれぞれの教団の理念を生かしつつ、ということになると思います。 そうすると、変な言い方ですが、教派神道はこの面で実はほとんどなにもない。この何もないことを何もないとしてゼロにするか、何もないから逆に何でもできるんだ、というふうに最大限の可能性にするか、ここだと私は思っています。こういうことを言っても、何かピンとこない方もいらっしゃるかもしれませんけれども、マクロに見れば、私はそういう事態だととらえております。これは、今日、明日のことではありませんけれども、それこそ十年、二十年というタイムスパンで考えていただきたいんでありますけれども、教派神道の、いまのアイデンティティの弱さ、よるべの少なさということは、逆の意味では、ここで、そういう宗教界再編成みたいな事態の中で、思い切った手を打ちやすい。ここに神社神道の方が見えておりますけれども、神社神道が思い切った手を打つといってもこれは限界があると思うんです。今までのあり方を百八十度はどの宗教も変えられないと思いますけれども、神社神道は五度も変えられるかどうか、そういう問題があると思います。でも、教派神道の場合には、そういった、いわばしがらみは実は少ない。このことをプラスに転じると申しますか、今後のたとえば組織づくりとか、それから運動の理念にどう反映させるか。恐らく、今後は宗教と非宗教の区別も非常に見えづらくなると思います。何が宗教的な問題なのか、何がそうでないのか、あとの分科会でも、テーマになっておりますけれども、生命の尊厳とか、教育とか、環境もそうですね。これは、宗教的な問題とも言えるし、別に宗教界がそんなことをいってくれなくてもかまわないという問題でもあります。そのような、宗教と非宗教の区別も、恐らく再考される。もう一回考え直されるでありましょうし、それから教団と宗教でない組織とが何が違うのかという問題も出てくると思います。いまは宗教法人というものがありまして、宗教かどうかは、最終的には宗教法人かどうかで区別せざるを得ないところがあります。われわれが宗教とみなしているものでも「うちは財団法人であります」と言っているところは、この頃は宗教というと怒るんですね。宗教と言うと評判が悪い。会場も貸してもらえない、だから宗教というカテゴリーに入れてくれるなという、非常なクレームが来ております。でも、機能的に見ればほとんど新宗教、というのが実はあるんですね。だけど、そういう形式的な、法人になっているかどうかというようなことがそんなに問題なのかどうかということも、また考えなければいけないと思うんです。要は、人間文化が、あるいは人間社会が、二十一世紀にどういう形で展開していくのが好ましいか、そのためにはどんな組織があったらいいか、ということで考えればいいことでもあります。 今の社会、先ほど坂田さんのほうからもありましたけれども、経済至上主義とか、果てしなき欲望主義とか、あまり目的の明確でないテクノロジー追求が露骨になっております。これはもう、われわれがいかにあらがおうと、その方向は変わりそうにないわけですね。一時期、清貧の勧めとかありまして、ちょっとは貧しく生きよう、なんていうようなこともありましたけれども、現実問題として、一たん手に入れた豊かさを放棄することは至難の技であります。そうした方向性で動いている日本社会の動きに対して、では、たとえば精神文化とか、そうしたものを標榜する人々が何を言えるのか、どんな組織、あるいは繋がりをつくることで、これに一種の警鐘と申しますか、文明の進む道に、これはとんでもないことになるぞ、というような形での発言ができるのか。そういう形で考えることが期待されると私は思っているんです。 非常に大ぼらを吹いているような気もするんですが、そういうような大きな見方から考えてみる必要があるのでは無いでしょうか。私は教派神道はもう本当に下手をすると崩壊すると申し上げている。さきほども申しましたように、一方において儀礼宗教があり、他方に新宗教があると、機能的には存続し得る余地って非常に狭いんですね。ですから、それを、先細りで行くのか、もう一回いま申しました大胆な、いまの社会が模索している、あるいは混乱して行く手が見えなくなっている、そのことを正面から受けとめて、逆に一つの旗頭になるというようなことを模索するかどうかであります。 そのためには、別に、ものすごい大きな組織をつくったりなんかする必要はないと、私は思っております。あちこちに点在する小さな運動でも、やっぱり次の世代への何かの拠点になり得るんでありますから、非常に大きな組織とかなんとかということではなくて、むしろ必要なのは希望ですね。こういう運動、あるいはこういう理念というのは、確かに次の世代に希望を与えてくれるという、そういう希望をつくる拠点になるべく、何かやっていただければいいんではないか。局外者からの勝手な物言いということは重々承知しておりますけれども、あえて率直に私のいまの心境を述べると、以上のようなことでございます。 大変つたない基調講演となりましたけれども、やや時間もオーバーいたしましたので、大体この辺で終わりにさせていただきたいと思います。どうもご静聴ありがとうございました。(拍手) |
|||