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| それでは、第二分科会の教育について、まとめられたことをご報告申し上げます。
その前に、私が今日に至るまでにごく最近ですけれども、いろんな家庭を無差別に訪問いたしましていろんなことをお伺いいたしました。たとえば、本日の「こういうシンポジウムを教派連でやりますよ」と言ったところ、大半の方々が、「いや、それはわれわれには難しい、われわれから随分かけ離れたものだ」とか、そういう意見をおっしゃる方が大半でございました。これは本当に事実だろうと思います。 もっともっと社会に、また家庭に密着したものがわれわれには要求されているのじゃないかと、そういうような感じを抱いたものでした。とりわけ、この教育面に対しては、各家庭とも非常に興味があり、また深刻に受けとめておる状態でございます。 しかしながらこの家庭教育、学校教育とあらゆる場面で論議が尽くされているのですけれども、総じて私たち宗教者の言うことは難しすぎる、というのがもっぱらでございました。その難しさというものを、いかにわれわれがかみ砕いて、そしてそれを各家庭で生かしていただけるか、そういうところに一つのポイントがあるように思います。 それでは、本題に入ります。現在の子供たちを見た場合に一見、大変幸せそうに見えます。しかしながら今日の教育現場を見たときには、いわゆる社会のひずみからくる様々な憂慮すべき諸問題が生じております。とくに小・中・高校を始めとする学校教育の現場においては、校内暴力、いじめ、果てはそうした要因からくる子供たちの自殺など、おそらく一昔前までは考えもつかなかったような深刻な問題が、もはや全国的に波及し、まるで日常茶飯事の如くに頻繁に発生している異常さは、まさに目を覆いたくなる状況です。 そして、その対策は遅々として進まず、当人の子供たちはもとより、教師側も家庭側もただおろおろするばかりというのが実情のようです。 昔から「子は親の鏡」と申しますが、こうしたいじめとか子供の自殺等の社会問題は、いわば現代の大人の世界の裏返しであると思えてなりません。 それでは一体、どこに原因があるのでしょうか。そこで私たち分科会では、宗教心という目を通して討議を進めてまいりました。 まず、いまの教育制度というものを見てみましても、やたら勉強、勉強と、そういう詰め込み、どんどん詰め込んでいってる状態があります。本来そこには、道徳心とか、宗教心とか、いろんなものが加わって成長期の心と体に対して、より一層関心が深まっていかなければいけないように思います。 ところが実際に見てみますと、現在の家庭においては、心と体について非常に無頓着な状態が多いように思われます。 それと、日本が高度経済成長期に入りまして、学歴・拝金主義の世の中になってきたという一つの事実があります。そして、人間本来の道徳心とかそういうものを、その拝金主義が上回って、あらゆる方向に進んでいったということも、また事実でございます。 その間に、静かな宗教ブームとかいろいろなブームを繰り返しながら、最近、非常に騒がれておりますところの、ある宗教団体が殺人まで犯すような、そういう状態になってきたということではなかろうかと思います。 その中にあって、われわれが決して手をこまねいておったわけじゃないんですけれども、家庭の中に、そしてまた宗教に、本当に心のよりどころを渡してあげるようなことができなかったんだと。われわれに対する一つの警告であろうと、そういうように私たちは受けとめております。 こういう異常な事態になって、やっと自然との共生とか、心の優しさとか、いろんな問題が取り沙汰されつつありますけれども、必ずしもいまそういう問題が見事な成果を上げておるとは、決して言い切れないだろうと思います。残念ながら、そういうような金権主義をひた走ってきた結果、今日があるんではないかと。 要するに、いま私たちがやらなければいけないことは、頭脳一辺倒式教育から、本当の家庭の中に根づいた宗教心、いわゆる家庭の宗教的情操教育をぜひやっていかなければならない。もうその必要に本当に迫られているんじゃないかと、そういう感じがいたします。 そして、もう一つには子供を育てる情熱というものが、家庭や学校の中で大変に不足してまいりました。「子供は、親の背中を見て育っていくものだ」という諺がありますが、親が、学校の先生が、また子供たちを取りまく大人たちがその情熱を持っていなければ、決して子供たちに良い影響を与えるわけにはまいりません。 その結果として、私たちがいま考えていかなければいけないことは、実際に、いま家庭が、そして子供たちが、学校や社会が、非常に力が弱まっているということです。 あるいは力がなくなってきたと言った方が正解だろうと思います。その力のない家庭、力のない社会、力のないわれわれというものを、もっともっと私たちで互いに研鑽し合って力のある家庭づくりと、そこから出てくる力のある子供たち、豊かな子供たちに対して、われわれは指導していく一つの義務があるだろうと思います。 そして、その一口に力と申しますけれども私はその力なるものは、決して強度ではなくて、そのしなやかさ、いわゆる復元力にあるだろうと考えます。 戦後五十年が経過して、いわば日本的な家族主義が、西欧の個人主義によって随分崩壊してまいりました。家族主義の崩壊は、とりもなおさず家庭に力がなくなってきたんだということが言えようかと思います。 いまの子供たちは一回踏まれてしまいますと、すぐ潰れてしまいます。いわゆる回復力のなさでは天下一品だろうと思いますけれども、やはりそこには子供の権利と、そしてそういうものをわれわれが認めていかなければいけない。 その中に、認めるためには、お互い愛情ある生き方をしていかなければいけない。その愛情ある生き方の中にこそ、家庭が円満になって、本当に生きていくためのバランスがそこで養われていくんだと。 そして、家庭の円満を持って信仰の基とし、家庭生活の基としていけるんだと、そういうことが成り立とうかと思うわけでございます。 総じて、ここにいう教育とは愛情教育であり、人間教育のことであります。胎児教育、幼児教育、家庭内教育、学校教育、そして社会教育‥‥と続くわけですが、その一貫した流れ、教育現場に中に人間教育、言いかえれば愛情教育、宗教的情操教育というものが根本になければならない。実は、そこのところを支えるのが私たち宗教者の最も大切な責務の一つであろうと思うわけでございます。 以上、簡単でございますが、教育問題に関しまして話し合われたことをご報告させていただきました。(拍手) |
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