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所在地 |
島根県簸川郡大社町杵築東195 |
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電話 |
0852-53-2063 |
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| 御祭神 |
主祭神 大国主大神
相殿神 天之御中主神
高皇産霊神・神皇産霊神
天照大御神・天穂日命・産土神 |
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| 教典 |
| 『教旨大要』 『大道要義』 『大道問答』 『葬祭式』『風教百首』『みかきのしめ』『神語』『幽顕分界話』『出雲問答』 『氏子の心得』 『国の真柱』など。 |
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| 創始者 |
教祖 天穂日命 組織者 第八十代出雲国造出雲大社大宮司
千家尊福 (第一代管長)(弘化二年八月六日 (一八四五)〜大正七年一月三日 |
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| 儀式・行事 |
| 出雲大社教大祭 (八月五日〜九日)、祖霊社大祭(春秋分の日)、戦没者慰霊祭 (十月第一日曜日)、神在祭 (龍蛇神講大祭 旧十月十一日)、勧農講社大祭 (十二月一・十五日) など祭事多数。
他にボーイスカウト、婦人会、青年会では、様々な行事・活動が展開され、ボランティア精神の育成、宗教的情操の滴華に努めている。また世界の窮民救済のための援助などの諸活動・行事が行われている。 |
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| 後継者 |
第二代管長 千家尊愛 第三代管長 千家尊有 第四代管長 千家尊宣 現後継者 第五代管長 千家達彦 |
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| 教 史 |
| 出雲大社の祭主家である出雲国造家に生まれた第八十代国造千家尊福は、明治五年に出雲大社大宮司となり、翌六年、各地にあった出雲大社の信仰集団である出雲講や甲子講などを統合して出雲大社敬神講を組織し、同年、出雲大社教会と改称。尊福は、「御巡教」と呼ばれる布教活動を積極的に全国各地に展開し、明治十二年には、教勢の拡張に伴い、出雲大社教会の本部教院を出雲大社社務所から隣接の現在地に移転、御神霊を遷座した。
しかし、国家神道形成過程において、明治十三年頃高潮に達し、神道界を二分した祭神論争では当時の大教宣布運動の拠点であり、神道の布教の中心的機関であった神道事務局神殿に大国主大神の表明合祀をめぐって、尊福を中心とする出雲派は、その合祀を主張するも結果的には認められず、更には政府により明治十五年一月に神官と教導職が分離され、神官の葬祭関与が禁止されるにおよび、尊福は、神道の布教の重要性を意識し、出雲大社宮司としての神徳布教の不可能を察知し、自由な立場で宗教活動を展開すべく、出雲大社宮司を弟・尊紀に譲り、布教活動に挺身する。そして同年五月には、一派特立の認可を得、神道大社派と数名を改め、初代管長となる。以後、神道大社教・出雲大社 (いづもたいしゃ) 教・出雲大社(いづもおおやしろ)教と教名を改称し現在に至る。管長は千家国造家が襲職している。 |
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| 教 義 |
| われわれが生活し、目に見える世界を顕世といい、神魂と人の死後の霊魂の世界であり、目に見えない世界を幽世とする。この顕世と幽世との世界は、相即不離の関係にあり、「幽顕一如」 として現世での諸現象は、見えざる幽世の恩頼により行われる。その幽世を主宰されているのが、本教の宗桐、出雲大社の大国主大神 (御親大神) で、人の死後の霊魂を統括される。また人は、「霊止(ヒト)」として、即物的ではなく、霊的存在であり、祖先からの霊質を継承し、大国主大神のムスヒにより、ヒトとして生かされる。そしてヒトの死後も霊魂は、幽世に帰り入り、幽冥大神と称えられる親神大国主大神の恩頼をうけ、子孫の守護神として子孫の追遠をうけて霊魂の安寧を得る。よってヒトは、大国主大神の御神徳の生死一つながらの 「幽顕一如」 の道を歩むところにその安心立命がある。また親神大国主大神の恩頼のお陰のなかで生かされて生きているヒトの在るべき姿とは、敬神崇祖を礎に大国主大神の 「和議」 の御心を「祈り・仕え・救い・教え・弘め・結ぶ」 の実践を通して実現することにある。 |
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| 祭式と祈り |
| 祭の目的とは、神を祈ることであり、それは神から生まれた人が神の境地に帰っていくということである。よってその祭式においては、例えば玉串拝礼では、それを畠−なる供えものという認識をせず、一つの依り代として神と自らを一体の境地に至らしめるものとして、一般の神社とは異なり玉由甲を戴いたまま拝礼する。また親神大国主大神と御神縁を戴いた人々が出雲大社に詣でることを特に 「おくにがえり」という。これは、霊的根元的世界で親神大国主大神の霊威に触れさせて戴き、霊を清新にして自らを蘇らせ、明日への活力を醸成させて戴くものである。また八月初旬に行われる教団大祭では、夜祭に引き続き 「みたまむすびの霊行」 が行われる。この霊行は、胸に御鈴を戴き、宗嗣瑞垣内の御神域である 「おにわ」 において鎮魂の行を行ない、最も御側近くで、親神大国主大神の御霊力によって、ムスビの活力を戴くものである。 |
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